[少女のスケッチ、そのささやかな風景で救われる自分]
1977年2月に僕はお金がなく、時間を持て余している自分に焦りを感じ、一人でLAに旅立ちました。その時何気なく行ったマッカーシパーック。
日差しの強い日だったかなぁ。強い創作の力もおとろえ、もはやその意識さえも溶けはじめていました。
その頃の自分は23歳。「将来自分を振り返った時、若き日の1ページを思う時が来る、その時に何もない自分は許せない」
生きている何かを見つけるためにという強い思い、胸に秘め飛んだLA、でも1週間と経たないうちに挫折感を味わることになりました。
僕は目の前にある階段を上がり、ベンチに腰掛けそんなことを考えた時にこの少女が公園に現れ、僕の視点の中で見事に頭の中のスケッチが出来上がりました。
今思えば、たぶん人間はほんの少しや偶然や何気ない風景とか自然とか友人の思いやりとかのささやかなもので救われるような気がします。
私たちの人生は決して平坦な道ばかりではありません。
さまざまな苦悩や挫折があった時、それを和らげてくれるのは、ささやかな小さな思いやりとか、何げない風景との出会いではないのかなあと思います。
人は、自然の風景をも含む、そばにさりげなくいてくれるものから、多くの救いを受けているのかもしれませんね。